シマッチュと猫の関係史
奄美大島において猫は希少動物を絶滅させない。
10月初めにも世界自然遺産登録の審査を目的とした現地調査のため、IUCN(国際自然連合)の委員団が奄美大島に入島する予定である。この期に及び、にわかに奄美大島がノネコ対策を強化する動きを見せている。
2017年9月19日、奄美大島、徳之島、沖縄北部および西表島世界自然遺産候補地科学委員会は、「第1回奄美ワーキンググループ」を開催。環境省や林野庁、行政機関など約50人が出席し、世界自然遺産登録に向けてノネコ問題の対応を検討した。環境省那覇自然環境事務所の西村学所長は、やむをえない場合に限り、捕獲されたノネコの殺処分、安楽死を含めた対応を取ることを含む「ノネコ管理計画」を作成し早い時期に決定したいとの意向を示した。
ノネコ問題を殺処分をしてまで早急に解決すべきとの委員会の主張であるが、その根拠は妥当であろうか? 奄美大島と猫の関係から解いてみたい。
<奄美大島と猫の歴史>
日本に猫が持ち込まれたのは、弥生時代とも奈良時代とも言われる。経典などの大事な書物をネズミから守る益獣として、中国から輸入された記録が残っている。奄美大島の文化や歴史に興味を持っている私は、偶然に奄美大島における猫についての古い記載を見出していたので、ここに報告し、分析する。それは、嘉永3年(1850年)、奄美大島に渡った薩摩藩士、名越左源太(なごや さげんた)による「南島雑話」にある。以下にこの記載を引用しながら分析する。
名越左源太「南島雑話」からの考察
猫之事
猫の事をマヤとなずけ、キジ毛灰色多し。ヤス毛稀なり。三毛黒ブチ生ぜず。是は犬に替つて至つて叮寧(ていねい)す。譯(訳)はハブと云える毒虫鼠屋内に入りて人命を害す。鼠少なければハブ屋へ入らず。依て猫を飼つて鼠をのぞく。米別して多事なけれども、猫は三舛づつに売買す。
(現代語訳)
猫は、島の言葉で、マヤと呼ばれている。キジトラ、サバトラ猫は多く、チャトラ猫は稀である。三毛猫やクロブチ猫は居ない。猫は犬よりも丁寧な扱いを受けている。これには理由がある。毒蛇であるハブがネズミを狙って屋内に入り、人命に害を与えることがある。ネズミが少なければ、ハブは屋内に入らない。このため、ネズミを退治するために、猫を飼うのである。猫は、米3マスで売買されるほどに望まれる存在だった。
奄美大島には独特の方言である島口が存在する。この島口は、普段の生活の中で身近な存在に対して成立している。人との密接で長い関係性が無ければ存在しないのである。例えば、玉ねぎ、や人参に対する島口は存在しないが、ニンニクはフル、大根はデクネ、カボチャはトッツブル、冬瓜はシブリという。つまり、マヤ(猫)は、江戸時代末期には既にシマッチュ(島人)と長く親密な関係にあったのである。
その理由は、人命を奪うハブから身を守るためであった。シマッチュとハブの関係は深く長い。これゆえに江戸時代すでにシマッチュは、ハブの性質を研究し、ネズミがハブを家におびき寄せていることに気付いていた。ハブが家に近づくことを防ぐために、猫がネズミを退治するという性質を役立てていたのである。佐源太が1年ほどの観察から、すでに島猫の毛色の傾向を見出していることから、当時も集落内を闊歩する猫(つまり野良/半野良猫)が多数存在していたことが分かる。
奄美大島には、在来種であるアマミトゲネズミ、ケナガネズミ、外来種であるクマネズミが生息する。在来種であるトゲネズミとケナガネズミは、山中にのみ生息し、里に寄りつかない。一方、クマネズミは英名Roof ratとも言われるように、主に屋内に生息している。江戸時代、人家に住み着きハブをおびき寄せたのは、外来種であるクマネズミである。当然クマネズミは、米などの穀物を食糧とする。クマネズミによる食害と湿気よけのために、奄美大島では、高床式の米蔵である「高倉」が考案され、伝統的建築物となっている。
一方のハブは、シマッチュから「神様」として恐れ敬われてきた。島口でハブはマジムンである。血清の無い時代、むやみに山に入ることは、ハブに噛まれて命を落とす危険と隣り合わせであった。それ故に、奄美の山々は神聖で立入ることが許されない場所として長く人による開発を受けることなく、保存されてきたのである。
荒魂神であるハブから身を守ってくれる守護神こそ猫であったわけである。
猫が丁寧に扱われていたという左源太の観察も尤もである。
南島雑話のマヤに関する記述はまだ続く。以下に引用する。
世の諺に秘蔵するものは其種少なしと云へりむべなるかな。此島猫は犬の半も生ぜずと見えたり。予が住ける屋中にも女猫を飼ひ居たり。一昨年の夏此島に渡りて今年も半に及べり。其猫未だ子を生ぜず。鹿府(鹿児島)の猫一年に兩(二)度子を生ず。是即此島に於いては秘蔵する者は其種少しと云うべけんや。又爰に一つの奇事あり。雄猫は成長すれば惣て(総じて)山に入りて、山中猫多きものと云ふ。其猫雌猫を戀(恋)ふる時、里に出て徘徊す。右通猫を生ぜざること、雄猫山に入りて出ざれば交る事能はず、其種少なき理ならんか。
(現代語訳)
この島では、猫は繁殖力が弱いという一般論がある。たしかに、この島の猫は、犬の半分ほどの繁殖力しか無いように見える。左源太が間借りした家にも女性が猫を飼っていた。左源太が奄美にやってきて既に1年になるが、その猫は未だ子供を産まない。鹿児島の猫は、年に2度子供を産む。これが奄美で、猫は子供を産みにくいと言われる理由だろう。この島には奇妙なことがある。雄猫は、成長すると大概山に入る。山の中には猫が沢山居るという。雄猫は、雌猫を恋しく思う時にだけ山から下りて、街中を徘徊するのであろう。雄猫が山から下りなければ雌猫と交尾することは出来ない。これが、奄美大島で猫が子供を産み難い理由ではないだろうか。
何と、1800年代すでに奄美大島の山中には、たくさんのノネコが存在していたのである。
これは、奄美大島ではノネコが山中に存在する状態が少なくとも数百年間続いていた事実確認である。この時代のアマミノクロウサギの数をうかがい知る資料は存在しないが、少なくとも今よりも沢山のクロウサギが生息していたことは間違い無いであろう。実際1920年頃まではアマミノクロウサギはシマッチュの食糧であったし、増えすぎて農作物に食害を与えることもあったというのである(川道武雄、動物大百科5 小型草食獣)。
クロウサギの数に大きく影響したのは、1979年頃、名瀬市赤崎に30頭ほどが放逐されたマングースであった。江戸時代から奄美大島の猫は、役割をもって、人間と共に持ちつ持たれつ暮らしていた。マングースより200年以上も長く島の住人であったのだ。猫は、江戸時代から同じ暮らしをシマッチュや奄美の自然の中で続けてきただけである。
以上から、近年の急激なクロウサギの減少に対して、猫が全くの無実であることは明確である。
猫は、古くから奄美の生態系に破滅的な影響を与えることなく、その一部となっていたのだ。
では、何故最近になって、ノネコが増えたという言説が聞かれるようになったのか?
一つは、奄美大島の近代化によってシマッチュが野良猫に対して高栄養の餌を与えるようになり、野良猫が増加し、これがノネコの供給源になっているという説明が考えられる。しかし、猫自らが食糧事情も住環境も良好な人里から離れ、あえて山に入りノネコとなることが理に適っているとは考えにくい。
佐源太が指摘するように、山中には雄猫だけが入り、雌猫は入らないのかもしれない。雌にとっては、山中における子育ては不利である。また、雌猫は、生まれた場所からあえて離れる習性は持たない。一方、近親生殖による遺伝病蓄積のリスクを回避するために、雄猫は生まれた場所から他の集団へ移動する習性がある。海と山に挟まれたわずかな平地に点在する奄美の集落“シマ”から出るために、雄猫は、仕方なく山へ入り一時的にノネコとなり、他の集落目指して移動し、そしてサカリが付いた時に里の雌猫のもとへと下ったのであろう。
そして、ここからが重要なところなのだが。
注目すべきは、左源太が文中において奄美の猫が繁殖力が弱いということを強調している点である。実際のところ猫の繁殖力は非常に強く、生涯産子数は100〜120匹に達する。これに対し、犬の生涯産子数は犬種にもよるが50〜100匹であり、むしろ犬の方が繁殖力は弱い。もし、江戸時代の奄美大島において猫の繁殖力が弱いのであれば、何か特別な理由がある。その疑問に対して左源太は、雄猫が山に入ることが原因であると推察しているのである。もし本当にこれが原因であれば、山から下りてくる雄猫の数が少なかったとしか考えられない。奄美・徳之島特有の理由それは、ハブ咬症によると考えられるのである。徳之島でどうぶつ基金によって行われた「徳之島ごとさくらねこTNRプロジェクト」の報告書を読んでいただきたい。
https://www.doubutukikin.or.jp/wp-content/uploads/2016/07/22ebd1cd245c3f5d347e052e325a3a14.pdf
山中のノネコはこのプロジェクトには含まれていないにもかかわらず、TNRが行われた時点で、ハブに噛まれ治療の必要がある猫が10頭に及んだ、と記載されている。最近ハブに噛まれ、治癒していない傷を持つ猫が、TNRのために捕獲した2136頭の猫に10頭含まれていたということである。猫の傷が3週間で治癒するとすれば、年間にして170頭程の猫がこのようなハブによる傷を負っている計算になる。ハブに噛まれて死亡する猫は、これと同数程であろうか。山中に暮らすノネコがハブに噛まれ負傷死亡する確率はさらに高いはずである。つまり、奄美大島や徳之島においては、猫の増加を抑制するためにハブが果たす役割は、かなり重要であると推察されるのだ。
左源太の報告にある「奄美大島では山中にノネコが沢山いる。しかし猫は繁殖しにくい。」という観察を唯一説明する可能性は、山中に入った雄猫の多くが、ハブに襲われて命を落としていたということが考えられるのである。
奄美大島における食物連鎖の頂上はハブである。猫はその下に位置するのである。即ち、ハブを有する奄美大島・徳之島の食物連鎖は、ノネコによって大きく影響を受けることは考えにくい。
残念ながらマングースは昼行性であり、ハブは夜行性のため昼と夜の食物連鎖の頂点が入れ替わることによって、マングースの生態系全体に及ぼす影響は甚大となった。
さらに状況を悪化させた要因が、行政によるハブ買い上げ制度によるハブ撲滅政策だ。行政は1962年からハブの買い上げ制度をスタートさせ、現在に至っている。
その間に捕獲されたハブは、奄美大島だけで、延べ17万匹(1962年〜2001年)を超える(ハブ −その現状と課題− 東京大学医科学研究所奄美病害動物研究施設 服部正策博士)。
食物連鎖の頂点に位置するハブをこれだけの数減らした影響が無いはずはない。
近年ノネコが増加したとすれば、その最大の理由は、人間によるハブの捕獲によると考えても無理はない。
このように、1970年前後から奄美大島では、人為的な食物連鎖の操作が行われて来た結果、様々な悪影響が生じたと考えられるのである。
<生態系から猫を排除するとどうなるか?>
猫を含めて成立した食物連鎖から、急激に猫だけを除去すると一体何が起きるのだろうか?
以下に報告の一部を紹介する。
The Cats or the Rats?
Eradication of Cats on Ascension Island Makes Way For Rat Infestation
猫を撲滅したAscension島では、ドブネズミの増加により鳥の卵が食害されている。
Lessons learned from devastating effects of cat eradication on Macquarie Island
猫を撲滅したオーストラリアMacquarie島では、ウサギとネズミの増加によって新たな生態系の破壊を生じた。
When the cats are away, the mice will play––and the rats & rabbits
南アフリカのMarion Islandでも、猫の撲滅の後、ネズミの増加によって海鳥の卵が食害されている。
海鳥保護、ネコ捕獲でネズミに悩む 北海道・天売島
2016/1/28 12:32 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG27HBG_Y6A120C1000000/
天売島でも猫の除去によって、ネズミの被害が深刻化した。
奄美大島におけるノネコの食事の半分は、外来種のクマネズミである。(「奄美大島における外来種としてのイエネコが希少在来哺乳類に及ぼす影響と希少種保全を目的とした対策についての研究」https://dx.doi.org/10.14989/doctor.k19908(塩野崎和美博士))この事実からも、ノネコの除去が生態系におけるバランスを著しく変化させ、クマネズミの増加による様々な被害を生じる可能性は否定できない。
では、アマミノクロウサギ生息域からノネコを殺処分によって排除する「ワーキンググループ」案を実行した場合はどうなるだろうか?
これに対しては既にブログの別記事で述べた
(http://dokusyokansou-iken.seesaa.net/article/453491824.html)ので、詳細は割愛するが、何の解決にも繋がらないというのが結論である。
<アマミノクロウサギに対する本当の脅威とは、人による森林開発と車である>
奄美大島は、全島面積の84%を森林が占める緑の島である。しかし、その70%は一度開発を受けた二次林であり、原生林は森林面積の30%でしかない。これは、昭和10(1935)年代から活発に森林開発が行われた結果である(奄美大島の森林伐採(2010年09月09日 朝刊))。固有種の生息場所を奪い、絶滅危惧種に追い込んだのは、他でもない人による経済活動であったことは間違いない。
安い輸入木材におされ、国内の林業が経済的に成立しなくなり、奄美の森林開発も終息した。しかし、現在希少動物の脅威となっているのは、島内に83000台(2014年)存在する車である。環境省の報告では、ロードキルによるアマミノクロウサギの死亡数は、ノネコ+野良犬による食害を大きく超えている。
近年アマミノクロウサギのロードキル件数の増加が報告されている。
しかも今年は、最多発生率を記録した昨年の発生件数を既に超えたとの報告がある。
このことをアマミノクロウサギの生息数回復によるものとする説明だけが為されているが、明らかに世界自然遺産登録を目前とした観光客のインバウンド増加(奄美新聞2017.03.06入域客数過去最高)と関係するものと考えて間違いないであろう。これを皮肉とだけ受け取ってはいられない。「ゆっくり走ろう」の大合唱だけで済む問題ではない。夜間の車両通行止めや、生息地を横切る道路に対して人工的な獣道の設置など、
http://dokusyokansou-iken.seesaa.net/article/443679995.html?1506584669
具体的な対策を急ぐ必要がある。
以上のように、奄美大島の生態系のバランスを崩した張本人は、近現代の人間中心主義に汚された人間そのものだったことが明確となった。猫は、人によって生態系破壊の原因という濡れ衣を着せられて、殺されようとしているのである。


